「CAN」を語るうえで外せない名盤達!
1969年ケルンにてデビューを飾ったバンド。
CAN(カン)
CANのデビューと同時に、クラウトロックの夜明けです。
CANなくして現代音楽やその実験性がロックの文脈こんなに許容されたか!?(熱)
この頃のドイツの音楽にはそう思わせてくれる何か不思議な引力がありました。
私見と偏見たっぷりに語らせていただきます。
苦情は受け付けません。笑。
追記:2024年2月、日本人ボーカリストとして在籍した、
ダモ鈴木さんが永眠されました。
クラウトロックを愛する一人として、同じ日本人がこの伝説的バンドにいたことを誇りに思います。
ご冥福をお祈りいたします。
クラウトロックオススメ名バンド15選! https://ymsy2021.org/progressiverock/ 好きな音楽を好き勝手に語る! よう 偏食気味の音楽趣味を好き勝手に語っています! […]
「CAN」黄金期の5枚を順にご紹介!
そんなCANの初期であり黄金期であると言われる5枚。
キーマン2名の加入と喪失と共に黄金期が作り上げられていきます。
サブスクでも聴けちゃうし、いまでも紙ジャケットのCDも買えます。
もちろんアナログもあります!
自分に合った好きな聴き方で聴くのが一番ですね!
書籍もお供にいかがでしょうか?笑。
Monster Movie (’69)
反復されるリズム。
マルコム・ムーニーの歌は決してうまくない。
どちらかと言えば声もヒョロヒョロの頼りないヴォーカル。
全く洗練もされていない、細くて厚みのないファズになりきっていないディストーションのギター。
その全てがこのアルバムを構成する要素として不可欠。
1969年発売。たった4曲で恐ろしい新人。オジサン達だけど。
複雑じゃない反復されたリフと、速いテンポが刻まれるリズムはパンク・ロックの原型とも言われる、「Fathe Cannot Yell」から始まります。
そして、次曲「Mary,Mary So Contary」のイントロ。
悲しげなムーニーの歌声と哀愁漂う、間を絶妙に使ったカローリのギター。
打ちのめされました…泣けますこれ…
言うまでもなく名曲として語り継がれています。
20分に及ぶ大作、「You Doo Right」。
これもこれでしかし何か特別な展開があるわけでもない。でも突き刺さる大名盤。
ミヒャエル・カローリのソロは無いのかと探し求めるくらいギターがカッコいい。
このアルバムのみでマルコム・ムーニーは脱退してしまいます。
この後ダモ鈴木と奇跡の出会いを果たすCANですが、
ムーニーの喪失はちょっと個人的には残念です。
Soundtracks (’70)
ムーニーが居なくなって、なんと路上で歌っているところを拾われた日本人のヒッピー、ダモ鈴木。
こんな奇跡の出会いまでもがこのバンドを伝説のバンドに仕立て上げています。
このアルバムは新録ではなく、録り溜められていた音源を編纂してできたアルバムという事。
だとしたらこれ、かなりまとまっている印象です。
ヴォーカル2人が混在しているにも関わらずまとまっている。
キャッチーな歌やメロディが多く、コンパクトにまとまっているアルバムだとも言えます。
もちろん、名曲揃いの大名盤である事には違いないです。
「Deadlock」の泣きのギターからの哀愁のヴォーカル。
この後の「Tago Mago」にも続くカンの代名詞なのではないでしょうか。
「Don’t Turn The Light On,Leave Me Alone」なんかの脱力系の歌い方はダモ鈴木ならでは。
これも以降に続く代表的な一面。
なので小さくまとまった訳ではなく、今後が明確に見えた一枚なのでしょうか。
これ用で作ったのじゃないのに、凄いです。
Tago Mago (’71)
そして大名盤。
全部に言ってるけど世の中的にも、誰も文句のないでしょう大名盤が誕生します。
これまでの反復リズムやヨレヨレミラクルヴォーカル、泣きのギター。
加えて現代音楽を学んでいた素養が急速に、急激に発展して形になります。
もはや「Paperhouse」にその全てが集約されて表れているといっても過言ではない。
むしろ初めの30秒に…以下同文。
とにかく語りたくなる名盤ですね!
「Oh Yeah」で日本語で「あたまのイカれたやつ」「虹の上から小便」、
なんて日本語で歌ってるのとか聞いて、あれ?何?日本人?って初めは思いました。
ムーニーとまた違った異様な個性です。ダモ鈴木。
そして長尺の、「Halleeuhwah」。
一定のテンポで展開される様々な国籍のロック、聴いたことのないエフェクト、
「Paperhouse」のような泣きの代名詞とまた違った、canらしい一曲です。
変わったエフェクトもあるけど、現代音楽ベースの新たな表現力が遺憾なく発揮されているのが「Aumgn」。
急にこっちの振り幅見せてきました。
もともと素養があるので当然と言えば当然なのかもしれませんが、しびれます。
現代音楽やその実験性、実験精神を包含してロックや他のジャンルに昇華させてみせた。
それこそクラウトロック最大の功績ではないでしょうか!
そういった試み、彼らにとっては自然な事だったのかもしれません。
現代まで一つのジャンルとしてクラウトロックが語り継がれる事もその裏付けのような気がします。
Ege Bamyasi (’72)
大名盤の次に作られた、たった一年後にはリリースされているのがとんでもない。
前作までにあった各要素がさらにブラッシュアップされてかなりまとまった作品の印象。
「Pinch」、「I’m So Green」のようにテンポのいいドラムの曲は前作の制作からの流れ。
「Soup」、「Spoon」に集約されたそのイズムは、前作ではっきりとみられた現代音楽をロックに引き入れるその表現の延長です。
現代音楽とポップ、ロックがこれほどに混ざり合ってカッコよくなるなんて。
「Sing Swan Song」に泣きのギターリフはしっかり受け継がれています。
「Monster Movie」の「Mary,mary」のようなスローテンポの、細く長いギターの単音が悲しく響く佳作です。
Future Days (’73)
このアルバムを最後にダモ鈴木がCANを去ります。
本アルバムはこれまでにあったロック的なアプローチに加えて、
ミニマルで実験的、より現代音楽的要素を含んでいます。
振り幅が大きく、バンドとしての完成度が高まっていっているのは確かだと思います。
ミニマルである種民族音楽的なリズムもCANらしく、
「Moomshake」のような軽快なミニマルなポップもCANらしいです。
そしてアルバムを締めくくる「Bel Air」。
文句のつけようがない大作ですな!
これもらしさなんだと思いますが、1stの頃から一定のリズムが刻まれて、その反復が陶酔を生み出す。
反復されたリズムによって集約されてトリップ・ミュージックへ。
CANは2度のフロントマンの喪失をもって、完成度の高いアルバムを仕上げました。
「CAN」はやはり唯一無二!
同時代のクラウトロックのバンドの中でも、
鮮烈なデビューに始まり、唯一無二のCANサウンドの構築。
現代音楽との高度な融合。
高い完成度を誇るアルバムの制作。
と、ピカイチの存在感をみせてきました。
好きな音楽に偏見と愛情を皆さんも注ぎましょう〜。